違和感のはじまり
「この子は〇〇だから仕方ないよね」
そんなふうに、子どもの姿や関わり方が最初から“決まったもの”として扱われているのを見たとき、心にふと違和感が残りました。
支援のつもりで言われたその言葉に、誰かを思うやさしさが込められていることはわかっているのに、どうしてもひっかかってしまったんです。
「その子の姿」をどこまで見ている?
ある子の言動に対して、「これやだ」「あれやだ」と言う気持ちを、すべて受け入れてあげようとする関わりを見て、「それって本当に、その子のためになっているのかな?」と考えてしまいました。
私はその子とまだ深く関わったことはありません。
でも、他の職員も同じようにその子との関わりは浅く、日々の姿をじっくり見ているとは言いがたい状態です。
関係性が築けていない段階で、おうちの方からの申し送りだけで「この子はこういう子」と決めてしまっていることに、モヤモヤを感じています。
決めつけと受け止めは違う
子どもに無理をさせないことはもちろん大切です。
でも、それは「何でも受け入れること」とイコールではないと思っています。
「いや」と言う気持ちに寄り添いつつ、その先にある「本当はどうしたい?」を一緒に探していく。
できないことや避けたいことをすぐに“その子らしさ”として受け止めるのではなく、「もしかしたら関わり方次第で変わっていくかもしれない」という視点を、支援者側が持ち続けることが大事なのではないかと感じています。
想いが伝わらないもどかしさ
私自身、この子と深く関わったことがあるわけではありません。
だからこそ、今の関わり方に違和感があっても、それを強く言い切ることはできない。
けれど、「本当にこのままでいいのかな?」という問いは、自分の中にずっと残り続けています。
その子の可能性を信じたい。
その子の“できるかもしれない”を、私たちの関わりの中で見つけていきたい。
そう思っているけれど、職員同士でその気持ちをうまく共有できなかったり、慎重な空気に飲まれて言葉を飲み込んでしまったり……。
現場で感じる“伝わらなさ”にも、もどかしさを感じています。
支援の形を問い続ける
支援って、正解がひとつじゃない。
だからこそ、「これは本当にこの子に合っているのか?」「もっと別の関わり方があるのでは?」と、常に問い直していく姿勢が大事だと思っています。
子どもは変わっていく。
環境や関わり方でできることが増えていくこともある。
だからこそ、私たち支援者が「その子らしさ」という言葉で可能性を閉じてしまわないようにしたいんです。
おわりに 〜現場でがんばるあなたへ〜
同じように子どもたちと向き合う現場で、葛藤や迷いを感じることって、きっと誰にでもあると思います。
「これでいいのかな?」と立ち止まってしまう瞬間もあるかもしれません。
でも、その“問い”こそが、子どもと真剣に向き合っている証だと思います。
私自身、まだまだ迷いながらの毎日ですが、だからこそ、こうして誰かと考えを共有できたらうれしいです。
子どもたちにとって、よりよい支援とは何か。
一緒に悩み、考え、見つけていけたらと思います。
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